どっすんすんWiki
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どっすんすん中二病

古代の書を読み解きし記事

此の聖書の著者は病を患った。そう......、中二病。聖書の改訂は速やかに行われるべきだ。さあ、急ぐのだ!

古代神聖文字どっすんすん語(こだいしんせいもじどっすんすんご)は、主にど連どっすんすん同士の間で使われていたとされる言語である。どっすんすん神話にある文字はこれである。次代→どっすんすん語

概要[]

古代神聖文字は、英語の筆記体のようななめらかな文字である。しかし、基礎となる文字だけで31079文字存在する。これは「よりかっこいい字」を求めた為と言われるが、現代となっては何が違うのか分からない為、読み取る事すら難しい。

それに加え、その文章は非常に難解である。単語の意味は現代とそう変わらないが、文法は非常に難解。同一表現を13通り持つこともある言語である。さらに日本語に訳した後もややこしい。例えば古代神聖文字どっすんすん語において

「苹果よ引かれよ。其の重力に。彼の運命さだめに。彼の法則の一端を知らしめ、偽りを正せ。」
ニュートン について、とある古代神聖文字どっすんすん語話者

と日本語まで訳しても、これはニュートンがリンゴの落ちる様子から万有引力の法則を知ったという逸話を表す。

翻訳・解説[]

翻訳と一言に言っても、実は二種類あって、この言語から古代神聖文字どっすんすん語に翻訳するのか、またはその逆なのか。ここでは両者平等に解説する。

古代神聖文字どっすんすん語へ翻訳[]

古代神聖文字どっすんすん語への中にも、洋風と和風、それを合わせた和洋風という分類がある。
和風では、以下のような特徴が挙げられる。

  • 漢字の多用。
  • 表現の抽象化
  • 「その」→「彼の」、「私の」→「我が」、「その」→「其の」、「なった」→「成り果てし」、「あらわした」→「顕現せし」など、より大袈裟な表現をする。
  • 「〜した」という結果、状態を表現するには「〜せし」を用いる。
  • 「だ」、「である」などの普通体を用いる。

これらから、例として次の文を翻訳してみる。

原文「十円ガム一個だけ買ったら消費税いくらですか?」

→変更「唯一つ買われし十円ガムの消費税はいくらとなろうか

これだけでもかなりなレベルとはなるが、更に変換する。そのためには単語のレベルで変換が必要となるので、

  • 十円→壱拾ばかりの幣
  • ガム→咀嚼されし護謨
  • 消費税→統治者への得物の対価
  • いくら→幾程

とすると、直接代入すれば、

原文「唯一つ買われし十円ガムの消費税はいくらとなろうか」

→変更「唯一つ買われし壱拾ばかりの幣咀嚼されし護謨統治者への得物の対価幾程となろうか」

となる。
これだけでは文章に違和感があるので、

原文「唯一つ買われし壱拾ばかりの幣咀嚼されし護謨の統治者への得物の対価は幾程となろうか」

→変更「唯一つ買われし壱拾ばかりの幣にて得る咀嚼されし護謨の統治者への得物の対価は幾程となろうか」

とする。これでも拭えない違和感には、少しばかり言葉の入れ替えを行えば対処出来る。

原文「唯一つ買われし壱拾ばかりの幣にて得る咀嚼されし護謨の統治者への得物の対価は幾程となろうか」

→変更「壱拾ばかりの幣にて唯一つ買われし咀嚼されし護謨の統治者への得物の対価は幾程となろうか」

「されし、されし」に違和感があるので、

原文「壱拾ばかりの幣にて唯一つ買われし咀嚼されし護謨の統治者への得物の対価は幾程となろうか」

→変更「壱拾ばかりの幣にて唯一つ買われし咀嚼されたる護謨の、統治者への得物の対価は幾程となろうか」

とする。 最初の文と比較すると、

原文「十円ガム一個だけ買ったら消費税いくらですか?」
→変更「壱拾ばかりの幣にて唯一つ買われし咀嚼されたる護謨の、統治者への得物の対価は幾程となろうか」

と、なる。人によっても単語の選択は微妙に異なるが、おおよそこのようなものとなる。


一方洋風では、ルビの多用、イタリア語にドイツ語に英語にギリシャ語を混ぜたような横文字の多さが特徴となる。
古風との違いは、

  • 難解な漢字を用い、かつそれに横文字のルビをふる。
  • どちらかというと口語が多い。
  • 畏まらない文体にもマッチする。

となる。 洋風の古代神聖文字どっすんすん語で書かれた文の例を挙げよう。
世界樹ユグドラシルへ導く血塗られた悪霊ブラッディ・ファントムよ。俺の運命オーメンを狂わせろ!」

こちらに関しては、「諦めたらそこで試合終了ですよ。」を例に解説していく。まずは、原文を次のように変換する。

原文「諦めたらそこで試合終了ですよ。」
→変更「諦めたらお前は終わりだ!」

まあ、意訳と言えば意訳である。次にいくつかの単語を変換する。

原文「諦めたらお前は終わりだ!」
→変更「諦めたらお前は終わりだジ・エンド!」

更に変更を加える。調べたところ、「諦め」はフランス語で「レジニアシオン」というらしいので、この語があうように文章を変更し、代入する。

原文「諦めたらお前は終わりだジ・エンド!」
→変更「お前が諦めるんレジニアシオンなら、終わりだジ・エンド!」

お前の部分も直したいと思うかもしれないが、これくらいがちょうどいい。まとめると、

原文「諦めたらそこで試合終了ですよ。」
→変更「お前が諦めるんレジニアシオンなら、終わりだジ・エンド!」

と、こちらもきれいにビフォーアフターした。


最後に和洋風であるが、こちらは前述した和風と洋風を足して2で割ったものと言える。特徴としては、

  • 漢字に漢字のルビを振る
  • ひらかな、カタカナにも何らかのルビを振る
  • しかしルビに横文字は使わない

というものだ。
一つ例を挙げよう。

其の祈り願いの結晶は、誰にも届く事無きとして終わる終焉へ誘われる


読みにくいかもしれないが、それが和洋風の特徴。ちなみに解りにくい人のためにルビで読むと「其の願いの結晶は、誰にも届く事無き者として終焉へ誘われる。」と書いてある。
やはりこれも変換の例を挙げよう。ここでは「お前の扇風機はもう壊れている。」を基にして解説する。
まずはその単語一つ一つを似た意味の言葉へ変えていく。

  • お前→貴様
  • 扇風機→風巻き起こし電子桜
  • もう→既に
  • 壊れて→破損して

とし、直接ルビに代入すれば、

お前貴様扇風機風巻き起こし電子桜もう既に壊れて破損している。

となる。これでほぼ完了だが、念のため「の」、「は」をカタカナに。すると

お前貴様扇風機風巻き起こし電子桜もう既に壊れて破損している。

となった。ここで「いる」「れて」はカタカナにしないのがポイント。原文と比べると、

原文 お前の扇風機はもう壊れている。
→変更お前貴様扇風機風巻き起こし電子桜もう既に壊れて破損している。

となった。

古代神聖文字どっすんすん語から[]

逆に古代神聖文字どっすんすん語から我々の言語への変換と言う動作もある。どちらかというとこの方が難易度は高い。

論より証拠、「我が血肉と成り果てし残滓の終焉の地」という語が何を意味するか分かるだろうか。
答えはトイレだ。どのように変換するかと言えば、

  • 我が血肉と成り果てし→栄養として吸収された
  • 残滓→残り物
  • の→(残滓の)行き着く
  • 終焉の地→最後の場所

で、「栄養として吸収された残り物の行き着く最後の場所」、つまり排泄物の行く場所と言えば、トイレなのである。

もう一つ例を見てみよう。
「彼の右手に宿りし蛇神は、其の闇に包まれし精霊を解き放たんとする。」
ここまで来ると最早何を言っているのか解読する事は不可能である。従って、この状況下においては、この文章にあった内容で創作を行う事が求められる。例えば、


のび太「ドラえもーん、またジャイアンに虐められたよお。」
ドラえもん「またかいのび太君。しょうがないなあ......。動物ビスケット!」
ドラえもん「蛇の形のビスケットで、驚かしてやるんだ。」
のび太「ありがとう、ドラえもん!」

空き地へ

ジャイアン「また虐められに来たのか?のび太。」
のび太「ふふん。今度の僕はひと味違うよ。」
ジャイアン「うるせえ、のび太のくせに生意気な!」
のび太「そろそろ蛇になるぞ......。」
ジャイアン「うっうわあ!のび太が蛇になった!助けて母ちゃん!」

逃げ帰るジャイアン。

のび太「ああ、いい気味だ。」

ガサッ、ガサッと土管から音がする。

のび太「なんだろう。」

土管から犬が飛び出る。

犬「ワン!ワン!ワン!」
のび太「うっうわっ!」

噛まれるのび太。

のび太「どうしてこうなるの?ドラえもーん!」


ここでは、蛇神を動物ビスケットで変身したのび太。闇は土管の中。精霊を犬とした。

このように、自由な発想も必要である。どっすんすんの奇跡が、ハリー・ポッターとなったように。そうしてまた、新たな物語が生まれるのだ...。


関連項目[]

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