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どっすんすんからなる一連の体系には、その人間の独自解釈により様々な意見や思想が存在する。それらを現在進行形で形成している者にも様々な考え方が存在する。この記事はその一覧である。

どっすんすんの思想 編集

こちらはどっすんすんのあり方に関する意見・思想を示す。逆にどっすんすんの拡散という現象に関する意見・思想は後述する。

どっすんすん真自由主義 編集

どっすんすん矛盾許容主義とも。どっすんすん真自由主義は以下のような思想である。

どっすんすんは本来無定義語であり、意味を持たない。従ってどっすんすんという語に付随する「終わる」などの意味は全てまやかしであり、また、どっすんすんに対して抱かれた如何なるイメージも個人によるものである。どっすんすんは完全に自由である、即ち真自由的であるべきであり、その理想を達成する為にはどっすんすんは矛盾を許容しなければならない。従ってどっすんすんは矛盾を許容しなければならないが、どっすんすんそのものに一定のニュアンスや、それに伴って発生したどっすんすん全土統一連邦どっすんすん及びその様相は全て否定される。即ちどっすんすんとはそれを感じる者それぞれの精神にのみ存在するものである。

この思想は弁証法的議論に向かうこともあるが、基本的にこの思想を持つ者は少ない。一部の宗教的どっすんすん学者はこの思想を採用する者もいる。

どっすんすん半自由主義 編集

どっすんすん真自由主義を受け、その問題点を指摘しつつ改善されたもの。どっすんすんそのものの自由性を一部制限することにより、一応の統一的などっすんすんのニュアンス、イメージ及び精神を形成する為にこの名がつけられている。具体的には以下のような思想である。

どっすんすん真自由主義にあるように、どっすんすんの本来の定義は存在しない。従ってどっすんすんを源流として生まれた如何なる存在、精神、世界も自由でなければならない。これはどっすんすんという存在が本質的に自由であった為に生まれたものであり、その産物がそれを否定してはならないからである。
しかしながら真自由主義は矛盾を許容するため、個人個人のどっすんすんという、それを思考する人々によって全く違う様相を呈することとなるが、それには弊害が多い。従ってどっすんすんという存在、精神、世界には一定の緩やかな指針が存在するべきであり、その緩やかな指針に従った上で自由な世界を築き上げるべきである。

この思想はMiiverseどっすんすん協会において比較的多く見られる。どっすんすん協会において生み出される様々な存在は一応の指針を持って存在するが、あくまで一応の物であり既存の定義と対立することも多い。

どっすんすん完全主義 編集

どっすんすん真自由主義、どっすんすん半自由主義を根底から否定し、どっすんすんに付随する概念は完全に定義された物であり、如何なる矛盾も許容しないという思想。具体的には以下のような思想である。

どっすんすん真自由主義、半自由主義はどっすんすんという語が本来、真に無定義な語であるという前提から議論を展開するが、どっすんすんという語はその更に前を考えれば元となった存在がある。その存在に付随されたイメージは死、恐怖等のネガティブなイメージであり、従ってどっすんすんの意味も、いくらか緩和されてはいるがある程度にネガティブである必要がある。だとしたならば、どっすんすんという語そのものにも一定の緩やかな指針が存在するのであって、どっすんすんを元として生まれた様々な概念は全て、緩やか、もしくはそれ以上に厳格な指針の元に定義されるべきである。従って矛盾は一切許容せず、矛盾は速やかに排除しなければならない。

また、どっすんすんに地球と言う現実の存在を持ち込むことも嫌われる傾向にある。架空の存在は何所までも架空でなければならず、そうでなければ正しくないとされる。

これはどちらかと言えばどっすんすんWikiにおいてみられる思想体系であり、即ちどっすんすんに矛盾を孕んではいけない、という暗黙の了解が存在する。

どっすんすんによる現象に関する思想 編集

どっすんすんの広まり及びその発展の一連の動き(以下どっすんすん現象と称す)に関しては様々な見方が存在する。

どっすんすん発散主義 編集

端的に言えば、一連のどっすんすん現象という物は、いわゆる思春期である少年少女の、若干歪んだ表現活動である、という思想。具体的には以下のようになる。

どっすんすんに代表される一連のどっすんすん現象にはある共通点が存在する。それはその自由さだ。どっすんすんという語の意味を定義するところから始まったこの創作活動は、意味、象徴、宗教、さらには国、世界をも創造するにお及んでいる。この自由さ、及びスケールは、いわゆる思春期の少年少女特有の創作願望による物ではないだろうか。
その証拠に、このどっすんすん現象を支える人間の多くはMiiverseのスーパーマリオメーカーコミュニティの人間だが、このゲームは非常に創作意欲を刺激する物であり、そもそも創作という活動を好む者達が集まっていることは明白である。従ってどっすんすん現象は彼らによる、彼らそれぞれの創作願望の発散の一手段ではないか、と考えることが出来るのだ。

この思想は学術的にも一応の評価を得ている。

どっすんすん存在主義 編集

どっすんすん(ど連)という存在が実際に存在し、どっすんすんに関するあらゆる概念はそこから与えられた者である、という思想。これは数学的宇宙仮説に端を発し、逆に我々が考えるいかなるどっすんすんも存在するのではないか、という思想でもある。

どっすんすん現象の奇妙な点はその創作活動である。どっすんすんそのものは本来一つの語であったにもかかわらず、その周囲には宗教、世界、生物等の凄まじく多くの概念が定義され、今も増え続けている。明らかに単なる妄想と片づけられる問題ではなく、彼らの考えるどっすんすんという存在は、実際に存在するのではないだろうか。
すなわち数学的宇宙仮説に基づけば、如何なる数学的に可能な宇宙も存在し、すなわち彼らのイメージする世界は実際に存在するのである。

この思想は数学的宇宙仮説を元にした物であるが、そもそもこの仮説が未証明であることと、もし本当に存在するとして、それは存在なのか、すなわち「別宇宙に存在する物は存在していると言えるのか」という根本的な問題が存在する。例えば「平行世界においてはトマト男が存在する」、と言うことは出来るが、果たしてこの存在に意味はあるのだろうか。一般的に存在を問われた場合、この世界に存在しなければ意味がないのである。従ってこの思想には大きな欠陥があると言える。

関連項目 編集

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